良くなるで終わらせない。
その先に続く治療を。
はじめまして。
株式会社BMSC代表取締役
ながまさ整骨院院長の永田匡志と申します。
弊社は「治療から始まる新たな健康を創り出す」をミッションに掲げています。
新たな健康とは、患者様が良くなった後でも痛みなく生活でき、新しいことに挑戦したり、新たな出会いを経験できることを示します。私たちは患者様の日常生活に直接的でなくても関わり、彼らの将来の可能性を広げることに貢献したいという思いを持っています。
少し長くなりますが、私の自己紹介をさせて頂きます。
ソフトテニスに励んだ青春時代
私は小学生から高校までソフトテニスに励んでいました。ソフトテニスを始めたきっかけは、小さい頃から落ち着きがなく、クラスで問題児だった私を何とかしようと親がクラブに入団させたのがきっかけです。
小学生の時から全国大会に出場し、そこそこのレベルで競技をしていました。そこそこということは、中途半端とも言えます。「俺は強い」と自信に満ちていましたが、それは過信です。結果、大事なところでは勝てなかったり、大事な試合前には停学を受けて出場停止になってしまったこともあります。
チームやペアにはさんざん迷惑をかけました。
高校卒業後に柔整の道へ進む
柔整の道に進んだきっかけは、近所の接骨院の先生に声をかけられたことです。その先生に修行先と専門学校を紹介され、言われるがまま行動しただけでした。当時は、自分自身の将来について真剣に向き合い、考えることなど一切ありませんでした。
修行時代は厳しい日々を送りました。
業界では今では珍しい徒弟制度で、師匠の家に住み込みで働き、午前は接骨院で丁稚奉公をして、夕方からは専門学校に通いました。帰ったら師匠の家で夕食後、接骨院の片づけ、準備に追われます。定期テストでも休みなし、国家試験前日は夜10時まで働いていたのを覚えています。親元を離れ人の家のルールで生活することは新鮮でもありましたが、我慢と忍耐の毎日です。
しかし、学ぶ環境は最高でした。
同じ敷地内に整形外科と内科、接骨院、デイサービスとあり日々各施設を行き来していました。5年間で同時に様々、経験・勉強できたことは今に生きており感謝しかありません。ただ、修行時代とにかく厳しかったために、悪い習慣もつきました。怒られたくない一心で、とにかく誤魔化し、隠し、嘘をつきました。しかし、嘘はばれます。学校での遅刻や欠席、学校の成績(1年時はクラス最下位)、仕事を終わらせてないこと…。本人はうまくやれるって思っていました。
しかし、人の目はそんなに甘くありません。
そんな時、事件は起こります。職場でお金が無くなった時に犯人に疑われてしまいました(実際は私ではありませんでしたが)。結局、日々嘘や隠し事をしていたために周りの人間に信用されていなかったのです。
恥ずかしながら、当時はそれに気づけていませんでした。自分は人よりできるという過信に満ち溢れていたのです。こんな人間だったから、最後も師匠と喧嘩別れで辞めました。喧嘩の原因も自分が間違っているにもかかわらず、間違いに気づけず、頭を下げられなかったからです。
静岡に戻り、いきなり院長に採用される
静岡に帰ってきて、当時では珍しく多店舗展開をしている整骨院グループに就職しました。
自分をよく見せようと面接でも格好つけて修業時代の経験を話したらいきなり院長として採用されました。技術経験が豊富でも人間として成長をしていない自分が成功するわけはありません。とはいえ、技術、症例経験だけは豊富だったため、結果を出すことができました。
しかし、人間力の乏しい私では、スタッフがついてきません。自分の感情をコントロールできずに、思い通りにならなければ怒る、怒鳴る、時に手を挙げることもありました。何度上司に注意されても、ほとぼりが冷めれば同じことを繰り返しました。スタッフは私の顔色を伺う毎日。そんな日々に疲弊して退職をしていきます。でも私は自分に原因があると気づけていませんでした。
なぜならば、会社には貢献している、厳しくても言っていることは間違っていない、時として一緒に笑っているから嫌われていないと変な自信をもって現状を解釈していたからです。そして、良い結果、良い指導をしているのだからという間違った自己解釈をしていました。当時のスタッフには取り返しのつかないほどの将来を奪ってしまい、今でも申し訳ない気持ちでいっぱいです。
会社側も私の扱いには困っていました。売上は上げるけど、人を任せられない。今の私ならこんな人間は長期的に会社の将来を考えたら癌にしかならないので、即クビにします。この時よく患者様に「腕はいいよね」と言われていました。「『は』ってなんだよ、なにこの患者」と言ってしまいそうで、他のスタッフにやらせて自分は施術しない時もありました。いかにも自己中心的な考え方であり、患者様を上から見ていました。
人生を大きく変えることになった弁護士との出会い
こんな日々を繰り返して、勤務して18年たった時に大きな転機がありました。
それは厚生局からの1通の封書「個別指導」です。
開業されている先生なら「個別指導」がどれだけ恐ろしいかが分かると思います。個別指導に呼ばれたらまず、助かることはありません。柔道整復師免許は失います。今までやってきたこと全てを失うのです。封書が届いてから個別指導まで約1カ月。見える景色は全て白黒で毎日生きた心地がしませんでした。
このときに今でもお世話になっている弁護士の先生と出会いました。
この出会いが、私の考え方、生き方を変えるすべてのきっかけです。
個別指導までの1カ月の間、弁護士とたくさんの時間を共有させて頂きました。個別指導のこと、対策のこと、根本的なこと、業界のこと、人としてのことたくさんのお話もしてくださいました。その時に個別指導の対策だけでなく、もっと本質的に、療養費を取り扱うとは、柔道整復師とその業界とは、そしてどんな人間になるべきかと考えさせられました。
この個別指導をきっかけに自分を根本的に見つめ、振り返ることができ、本気で「自分を変えなくてはいけない」と気づくことが出来たのです。個別指導もその場の対策だけでは意味がありません。もっと根幹から見直し、経営形態から変化しなければまた療養費の取り扱いは粗末なことをし、同じことの繰り返しです。そして経営形態から見直しをするには会社としても大きな覚悟が必要です。そのためには経営陣の覚悟、本質の強さが必要となります。
まさに自分の人生の見直しと同じことでした。また、今まで自分にかかわる人間を粗末にしてきたこんな私に声をかけてくださったスタッフもいました。「乗り越えてほしい、また一緒に頑張りたい!仲間だから」という内容のLINEを送ってくれました。本当にうれしくて、同時に申し訳ない気持ちで溢れ、誰もいない院内で声を出して泣いたことを覚えています。このときに過去してきたことを振り返り、今の自分の人としての将来像、その中で仕事や会社に対する姿勢が出来上がりました。
個別指導の最後に厚生局の方からこのようなお言葉を頂きました。「静岡市で一番患者が来ているからこそ、一番正しくやり、静岡市のこの業界を先頭で率先してください。」
このお言葉は一生忘れません。
応援してくれる仲間に背中を押され、開業
現在は、これまでの考えの変化、生き方の変化から開業をしました。開業時を振り返ると感謝しかありません。今までこんな多くの人に迷惑しかかけず、多くの人の思いを裏切ってきたにも関わらず、私を見てくれており、信じて応援をしてくれていた人もいました。
開業する勇気が持てずにいた私の背中を押してくれた、親友たち、弁護士の先生。
開業を応援するといってくださった患者様。
開業を待っていたとプレオープン時から駆けつけてくれる患者様たち。
わざわざネットを駆使して探してきてくださる患者様たち。
開業時にかかわった多くの業者の方たち。
自己中心的な考えを捨て、視野が広くなるとこれだけの多くの人々が自分に関わってくださり、支えてくださっていることがわかります。そして、この方々に真摯に向き合っていることでまた素晴らしい出会いができ、自分の人脈という財産が今も広がっています。同じ業界や他業界で活躍をしている先生方、私と会社をサポートして下さる心強いパートナーなど、自分が正しいと思う信念に基づいて行動しているとその道の「本物」の人たちが自然と集まってきます。
こうして考え方や生き方を変えることで、最近では親、兄弟とも関係が良好です。家族は一番わたくしを長く見ていて、よく知っているからです。今は、依然と比べ少しは私のことを認めるようになってくれているのだと思っています。
「感謝と謙虚」に生きていくことが良い結果を生み出す
こうやって過去から現在を振り返ると自分に法則があることがわかります。私は必ずと言っていいほど、人生の分岐点の時に自然と人に導かれています。
そしてとあることを見失うと失敗しています。それは「感謝と謙虚」です。
これがないときは、私は自己中心的な考えで行動しており、自分の周りから人が離れ行きます。これを強く感じ、思って行動しているときは自分にも周りに対してもよい結果、影響を及ぼすことが出来ています。人は成長すればするほど、より多く頭を下げることが大切だと考えます。なぜならば、自分が成長を実感していくと足元が見えなくなるという落とし穴があるからです。
そして「思いを持って行動、『目の前』から逃げない」ということ。多くの失敗をしていきましたが、私は逃げる事だけはしませんでした。自分がしたことの結果に対して同じ失敗を繰り返しては来ましたが、認めることなく他責で逃げる事だけはしませんでした。恥ずかしくても、惨めでも現状を受け入れてきました。
その結果、時間はかかりましたが気づき、変化することが出来たからこそ今があるのだと思います。だからこそ、今を失わないように、今よりもっと成長していくために今の思いと行動を忘れないようにより「感謝と謙虚」が大切なのです。そして、私に関わって下さる人たちにまた新たな出会いや繋がりを提供できるようになると考えています。これが「治療から始まる新たな健康」です。
経験をヒントにながまさ整骨院のミッションを見る
今後はこの経験を会社、ながまさ整骨院に活かしていきます。
ながまさ整骨院が中心となり、人のつながりを生み出していける院、会社にしていきます。
ミッションは「治療から始まる新たな健康を創り出す」
新たな健康とは患者様が良くなった先で痛みなく生活できることでまた新しいことが出来るようになったり、新しい出会いをすることを示します。間接的にでも患者様の日とのつながりに関わりたい。患者様の未来の可能性が広がることに貢献するという意味です。簡単に言えば、ながまさ整骨院が人のつながりを生み出す、一つのコミュニティとして存在していきます。その活動の一つとして、ソフトテニスのクラブを作りました。今後も野球やサッカーなどの患者様同士がつながることのできるコミュニティを作っていく予定です。
多くの患者様が来院すれば、それだけ多くの症例、特に外傷は増えます。今、この業界は本質を失っているように思えます。柔道整復師は、骨折、脱臼、捻挫、打撲に対して専門的な処置を施す、それを業とする者のはずです。でも実際は、肩こり、腰痛などの慢性症状がほとんど。そして、その症状を訴える患者様に対して、明確な根拠を示すことなく、施術の回数券を販売し、いかに継続させることが出来るかが重要視されている節が多々見受けられます。回数券販売のノルマがあったり、売上が先生の評価査定となり、良い先生と呼ばれる。当たり前の流れになりすぎて気づかないことが多いですが、こうやってあげてみると疑問に思いませんか?私はこのようなを柔整の当たり前を変えたいのです。
だから多くの患者様に信頼され、来院して頂き、多くの症例、外傷が診れる環境を作っていきます。そして、希望に満ちた先生たちが勉強、経験を経て、柔道整復師本来の姿になれる環境を作っていきます。
今後の展望について
今後の弊社の展望としましては、静岡市内に3店舗出店予定です。
葵区、駿河区、清水区に確かな技術と経験を持った本物の柔道整復師がいて、患者様に安心してもらい、信頼して通院して頂ける整骨院を作っていきます。そして、当社を卒業し本物の柔道整復師にあって地元に戻り開業し、また新たなコミュティを各々が創り出すことで、その輪が日本中に広がり、いつかは仲間が全国47都道府県にいる、そんな目的を持ち、将来を描いています。